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tayonezaw

ぼくとカマキン。


■鎌倉からはじまった。1951-2016/PART 3:1951-1965 「鎌倉近代美術館」誕生(神奈川県立近代美術館 鎌倉/〜2016.1.31)

■日曜美術館「さよなら、わたしの美術館~“カマキン”の65年~」(再放送・12月20日 20:00〜、Eテレ)


カマキンがいよいよ閉館です。現在最後の展覧会が行われています。

坂倉準三設計の本館(1951)はDOCOMOMO JAPANの20選に選ばれるなど、建築作品・文化財としての価値は広く知られています。

ただ、私にとってカマキンはホームグラウンドのようなもので、それだけに残念という以上に寂しさを感じています。実家が近かったこともあり(とはいっても朝比奈の切通を越えていくのですが)、大学生の頃は頻繁に通っていました。

坂倉準三、フラ—、レイモンド…など建築関連の展示はもちろん、柄澤齊、岡村桂三郎、内藤礼など強く印象に残る展覧会も数多くありました。特に内藤礼の展覧会「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」(2009.11-2010.1)は建物の空間を作品にした、そこでしか体験できないもので、静かな衝撃を受けたことを、ついさっき見たかのように思い出せます。通い慣れたところだからこそ感じることができた感覚なのではないかと思っています。


建物は確かに設備などは時代を感じるものでしたが、ここだからこそ生まれる空気感があったように思います。それほど人気のない(失礼な言い方ですね)展覧会の、さらに観覧者が数人しかいない時にそれを強く感じました。なんというのでしょう、格とも味とも違うもので、丁度良い言葉が見つかりません。

最初の展示室に入り息を詰めるように展示を見、そこを抜けてふうと自然と一息つく。見下ろす中庭にはイサム・ノグチの彫刻。ここの開放感は心地よかったです。もう一度気合いを入れて次の展示室へ。

また、時にはカフェでピラフを食べたり。カウンターの形、源平池に臨む窓、壁の絵。それほど混み合わない時間に行けば、なんだかのんびりした美術館のカフェらしい場所でした(今、このカフェの上にある部屋が特別に公開されています。今回私も初めて入りました)。

階段を下りると源平池に浮かぶように造られたテラス。ここも作品を展示する場所になり、半屋外あるいは池(水辺)を活かした展示はなかなか特徴的だったと思います。

中庭を歩いて、その周りの作品も見て、そして新館に向かう。新館は耐震性の問題で近年ずっと閉鎖されていたので、中に入ったのはずいぶん前の記憶です。「イスラエル美術の近代」展の時の新館の展示は今でも印象に残っています。本館とは違った明るい展示室も好きでした。なお、この建物と学芸員棟は取り壊されるとのことです。

閉館後、本館は残され鶴岡八幡宮側で新たな使われ方がされるようですが、美術館としての役割は終えることになるのでしょう。建物は残っても、あの頃体験していた場はもうないのだなぁ、と感傷に浸ってしまいます。13日に見られなかったEテレの日曜美術館、明日の夜に再放送とのこと。見ながらしみじみしてしまうだろうな。

ともあれ、これまで本当にありがとう。

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