明日、明後日と半田市の乙川でお祭りがあり、壮麗な山車が町を廻ります。
先日、その組み立ての見学をする機会がありました。お目当ては立川流の彫刻、「天の浮橋」です。私が江戸期の神道儀礼の研究で天の浮橋を扱ったのを見て下さった先生にその題材が彫刻でも見られることを教えて下さり、それが半田の山車にあるので見に行かないかとお声がけ下さったので、この機会を得ることが出来ました。
今回、見学させて頂いたのは乙川の殿海道山・源氏車です。組み立ては朝八時に始まり、山のみなさんが次々と部材を組み上げていきます。部材には番付が付いていて、ベテランの方の指示で組み立てが進められていました。その中で、「懸魚」とか、「破風」といった言葉が普通に使われて、皆に共有され、生活の中(年中行事の場でですが)で使われていることに関心しました。江戸時代の往来物にも建築部材名が多く登場するのも、このような場面で大工以外の人にも使われる言葉だったからかなぁ、とも思いました。
お目当ての「天の浮橋」は唐破風の奥の琵琶板にあり、山車が組み上がると手前に兎の毛通しが付いてしまい見えづらい箇所にあるため、組み上げる前に拝見させて頂くことが出来ました。三代立川和四郎富重の作で、彫りは細かく、かなり立体的で、さすがのできばえでした。現在は失われていますが、千鳥も彫られていました(脚だけ残っていました。佐野太作さんにご教示頂きました)。面白いのは、「天の浮橋」という神話に名前だけ出てくるものの姿をこのように想像したのだと言うことが分かるところです。欄干のあるかなり立派な橋で、そこから伊弉諾尊が天の沼矛を海に降ろし、伊弉冉尊がそれを見ている構図です。寺院の彫刻でも珍しい題材ですが、こうした神話の場面が民衆にも理解される素地があったのだ言うことを実地で確認できました。
さて、この三代和四郎の彫刻は、その他にも壇箱の「樊噲の門破り」、前山の唐破風下の「花和尚と弁慶」、脇障子の「風神・雷神」があります。
「樊噲の門破り」は有名な鴻門之会の場面を題材としています。注目すべきは彫刻を前後に配して実際の場面を造り出しているところです。外からはいま当に門を破って中に入ろうとしている樊噲が見えますがこの彫刻の奥、山車本体側には劉邦や張良がいます。半壊を見て驚く項荘や項羽もあり、緊迫した一場面が見事に立ち現れています。これは建築の彫刻では見られない手法ですので、感心しました。
こうした有名な作品の場面や登場人物(花和尚「水滸伝」、弁慶「義経記」)を題材とすることが出来たのは、みる方もそれを分かって楽しめたからで、当時の庶民の知識が分かるようで面白いです。寺社の彫刻の題材や、近世の宗教儀礼での象徴物なども同様なのではないかと感じた次第です。
脇障子の風神・雷神はよく見える場所であるためか、特に見応えのある作品となっていました。どちらも深く繊細な彫りがなされていて、風神の袋は風をはらんでいる様が良くできています。背景である雲も奥行きをもって造られていて見ていて飽きません。風神・雷神ともに少しかわいい表情が楽しげで、好きになりました。
この源氏車の脇障子の風神・雷神の彫刻は、同じ図案のものがもう一対あります。これは大正時代に地元の彫刻師である新美常次郎(彫常)が作ったものです。和四郎作の模刻と言って良いと思いますが、曳き回す際の損傷を考えて新たに作ってもらったものとのことでした。その辺りを抑えているのか、和四郎のものに比べて彫刻自体の厚みが抑えられていました。こちらもなかなかの作品で、山車を華やかに飾る彫刻にふさわしいものです。現在でも、山車を引き回す時には彫常の作を付け、神社で停まってている時には和四郎の作を付けるとのことです。見学した日は写真撮影があるとのことで和四郎作が取り付けられていました。
15時くらいには全て組み上がって幕も張られて山車が完成しました。仮曳きも行われ、狭い路地を調整しながら進んでいく様子や、曲がり角での方向転換の様子はドキドキしました。本当は彫刻を見たら午前中くらいで戻ろうかと考えていたのですが、組み上げの様子も面白く、結局最後までお邪魔してしまいました。
地域の人々が守ってきた伝統・行事とそれを象徴する山車、本やネットではなく直接見ることができたのはとてもためになりました。建築とその周辺の文化を考える上でもキーになるものだと思います。
こうした華やかな山車は東海各地にあるようなので、今後も機会があれば是非見に行きたいと思います。